冲方丁「天地明察」


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江戸時代に入り天文学の知識が高まってくると、暦と日蝕や月蝕などの天の動きが合わないことが問題となり、江戸幕府のもとで暦を改めようとする動きが起こる。それまでは、平安時代の貞観4年(862)から中国の宣明暦(せんみょうれき)をもとに毎年の暦を用いてきたが、800年以上もの長い間同じ暦法を使っていたので、実態と合わなくなってきていた。

 

貞享(じょうきょう)2年(1685)、渋川春海(しぶかわはるみ 1639~1715)によって初めて日本人による暦法が作られ、暦が改めらた。これを「貞享の改暦」と呼ばれるが、春海は「大和暦」と呼んでいた。

 

「渋川春海は江戸前期の暦学者。初の幕府天文方に就任。京都の人。安井算哲(江戸初期の囲碁棋士。渋川春海の父。囲碁家元安井家の祖。幼少より碁をよくし、徳川家康に認められて碁所(ごどころ)となり、碁をもって徳川家に仕える”四家”の一家)の子。はじめ安井算哲二世を名乗るが、のちに改姓。」というプロフィールだけを読むと最初から暦学者ということになるが、実は囲碁家元安井家の二代目を継ぐ人であり、算術を得意とする人。

 

この本は、春海23歳から46歳で改暦するまでの奮闘記を主とし、77歳で没するまでの物語。特に、保科正之、水戸光圀、老中酒井”雅楽頭(うたのかみ)”忠清、山崎闇斎(朱子学者であり、吉川惟足に神道を学び神儒融合した垂加神道を創始)、関孝和(和算の大成者)らとの春海の絡み具合が興味深い。