古代と飛鳥時代に遡ると


仏教年表作成の準備として、日本の仏教伝来前後の歴史を調べている。キーマンとしては厩戸王(聖徳太子)。

 

なので、関係する法隆寺の建立者、その目的、建立時期については、確か梅原猛「かくされた十字架」で前に読んだことがあったので再読し始めた。

 

中臣鎌取(藤原)が、崇仏派の蘇我にくっつき物部一門を滅ぼし、蘇我一門の厩戸王が没した後に厩戸王の皇子・山背大兄王を滅ぼし、そして蘇我蝦夷・入鹿を倒して、天皇系に近づき権力を得てゆく。その策謀はおおむね相手方一門の内部分裂を活用する点など「なるほどね」と思う。しかし、読み始めると、とにかく「~~皇子や皇女が。。。」が多すぎて誰が誰の系統なのか参考書ばかり見ることになり先に中々進まない。この辺がはっきりしないと、どのような権力がどのように動き、また仏教を道具として活用してゆくのかがピンとこない。

 

しょうがないので、蘇我系と天皇系の系図を作ってみるか!?