梅原猛「隠された十字架」


約50年前の1972年に初稿された法隆寺の多くの謎を哲学者として解明してゆく内容。確か2014年には一度読んだ本だが、再読してみた。

 

インド仏教、中国仏教、日本仏教の足跡を追いかけている中で、日本仏教興隆を年表に整理するには聖徳太子と法隆寺は外せない。この本で法隆寺は蘇我一門である聖徳太子とその一族の鎮魂の寺という観点で描かれている。

 

古代のこの時期、祟りがどれだけ恐れられているかがよく分かる。確かにこの視点が無いと、寺院建立と本尊仏像の意味や国からの不施が行われていた理由も理解できない。新興宗教の仏教が律令国家の中に組み込まれてゆく背景、政治の道具となる宗教やそこから権力者が個人的に崇拝してゆく背景もぼんやりと理解できる。

 

筆者は、古事記(712年)と日本書記(720年)の編集責任者は藤原不比等と設定して、記紀に当然記載されるべき内容がなかったりする点がそれまでの藤原一門の栄誉と成果を描くためとしている。

 

また推古天皇から平城京遷都に伴う飛鳥4大寺と奈良4大寺に遷移する流れにも言及している。主張している点は、特に藤原氏寺である興福寺が奈良4大寺であった川原寺(弘福寺:こうふくじ)をすり替えたもので、また蘇我氏寺の飛鳥寺を「元興った寺」として元興寺と命名し、興福寺の南側に配置し藤原氏の仏教崇拝が蘇我氏から移ったことである。これも興味深い内容だ。

 

この後は、梅原猛の仏教伝来前の日本古来の神様について書かれている「神々の流竄(るざん)」を再読して、神様、仏様の整理に向かう予定。