飛鳥・奈良時代の皇室系図


ここ数か月の間、儒教・道教・神道・仏教の歴史を整理している。

 

その作業の中で、日本の古代から飛鳥・奈良時代までの歴史書などを何度読んでもごちゃごちゃになる事が、皇室系図と豪族(権力者)との関係。この関係は、三親等までの近親結婚など今では考えられない親子・兄弟関係があり、そこに豪族らとの関係が入り込む。

 

誰が誰と何歳にしてどういう社会的地位(権力)や策謀をもっているのか?その結果、如何なる史実を生むのか?

 

これがさっぱりさせたいが、例えば写真のように(帝国書院「図説・日本史通覧」、2015年)、古代から飛鳥時代にかけて蘇我一族と皇室の系図を見ても、複雑であり、かつ時間軸が分からないのでどういう婚姻関係なのかも呑み込めない。

 こういう系図が、蘇我氏から藤原氏に移り変わる奈良時代になると、さらに複雑になる。

 

なので、この写真を参考にして人物の生存期間、婚姻関係、出産時期をデジタル年表にしようと思う。この作業も大変だが、頭の整理をしよう。

 

と言っても、蘇我氏の系図をみても、先ず稲目の時代に欽明天皇に稲目の娘・堅塩姫(きたしひめ)と小姉君(おあねぎみ)を嫁がるところから始まる。正妻と妾として実の姉妹を使うことなど信じられない。

 

ここからの流れは、「いろいろな年表」の解説で書くとしても、稲目の娘のそれぞれの子供を婚姻させるなど、すさまじい稲目の思考回路が働き、稲目の次の時代の馬子や孫・ひ孫までこのような思考回路が働く。

下図の年表は、上の年表と合わせて作っているが、天皇が誰と婚姻して誰が生まれるかを示している。いわば、上図が豪族側(権力者)、下図が天皇が豪族側から嫁いだ姫君を示し、併せて必要な時期の年齢やいとこ同士の年齢差などが見えてくる。

 

ちなみに、上図の下段にあるように、614年に生まれた中臣鎌足、659年に生まれた藤原不比等は、蘇我家に比べて「成り上がり」ものであることが分かる。

などなど、このような系図が出来上がってくると、それぞれの豪族がどういう立場で皇室系図を造り続けるかが分かってくるような気がする。

 

この作業もまた大変そうだ。。。