初版1983年。38年前の本だが思想面なので今昔に関係なく安心して読める。
小さい時によく母親から悪いことをすると地獄に堕ちるとか、閻魔様の話とか、生まれ変わると虫になるとかを聞かされたものだ。最初は、子供だましの話かと思っていたら小学校時代から本人が「悪いことをすると地獄に行って閻魔様に舌を抜かれる」か「生まれ変わると虫か畜生になる」と思うようになった。特に、母親は東京・麻布の浄土真宗のお寺の出身だったので、地獄と天国、輪廻転生、朝晩の仏壇に手を合わせることなどの話や教育が行き届いたのだと思う。
改めて、「地獄」とは何か?と問われると、上記したことしか知らないので、今回仏教歴史探索の一環で「地獄の思想」を読んでみた。
本の最初に「原始仏教のペシミズム」という節がある。ペシミズムとは、「この世界は悪と苦痛とが優勢を占めているとして、結局、人生は生きるに値しないものだという絶望的な考え方。また、そのような人生観に基づく哲学上の立場。厭世主義⇔楽天観」という哲学用語とのこと。この説の中に書いてあることは、
- 地獄と極楽はペアの思想ではない
- 地獄は極楽より広くて、近いところにある
- 「地獄」の思想は、釈迦の説法集「法句経」などに現れて、
- 「極楽」の思想は、それより遅い紀元後一世紀頃。
- 「地獄」の思想は、すべての仏教宗派において存在する
- 死後に人間が行く西方浄土や「極楽」を説くのは、浄土教と言われる一派にすぎない
- 従って、我々は地獄の絵図はいろいろな仏教寺院でみられるが、←確かに!
- 極楽の絵図は、浄土教の寺でしか見れない
以上から、
- 「地獄」の思想は、本来的に仏教的であるが、
- 「極楽」の思想は、必ずしも本来的に仏教的なものではない
では、何故、原始仏教に「地獄」思想が存在するかについて、以下のように語っている。
- 釈迦は積極的に地獄を説こうとはしなかった。
- 釈迦は、人生は苦であると断じ、
- その苦の原因を欲望に求めて、
- 欲望の消滅を説いた。
つまり、地獄は、
- 苦悩が純粋化され、客観化された世界である
- 世界を苦の相においてみる釈迦の考え方が、地獄思想に結びつきやすいのは当然である。←なるほどね!
などなど、興味深いことが書かれている本である。