梅原猛「飛鳥とは何か」


1986年初版(35年前)。

 飛鳥時代の区切りは、推古天皇が豊浦の地に都を定めた崇峻5年(592年)から、持統天皇が都を飛鳥浄御原から藤原に遷した持統8年(694年)までの102年間。この間の天皇は、推古36年→空位1年→舒明12年→空位1年→皇極3年→孝徳9年→空位1年→斉明6年→天智10年→弘文1年→空位1年→天武13年→持統8年(後期3年は藤原京)の9代。およそ100年間の飛鳥時代に中国から輸入される「律令国家」を日本風にアレンジしてやっと作ったのが坊条制のひかれた藤原京。

こういう歴史の流れはぼんやりと分かるが、もっと泥臭い疑問として中国や朝鮮との会話通訳や公式文章の執筆者はさて誰か?そもそも飛鳥時代以前から倭国と中国、朝鮮との政治的な動きがある。例えば、238年卑弥呼が朝鮮半島の帯方郡に使を送り魏に朝貢するとか、372年に百済王が倭王に太刀を送ったりとか。

ということは、日本側に当然外国交渉策を練った豪族などの権力者がいるが、実際に外国との会話や中国に朝貢するにあたり必要な公式文章などを書くことができる人材が日本側にいたことになる。

 

「飛鳥とは何か」では、主に3部から構成され、どの部も非常に興味深い。上記の疑問などアッという間に吹き飛んだ。時の権力者が必要とした人材=日本になかった知識・文化をもたらす渡来人

 

などなど、「飛鳥とは何か」は3部で構成されており、

  • 「飛鳥とは何か」では飛鳥の政治力学、小墾田宮の存在場所、蔭の氏族などを
  • 「死の聖化」では、国家主義の生んだ聖徳太子の虚像を述べ、
  • 最後の「飛鳥をめぐる謎」は、35年前に著者が今後解き明かしたいという幾つかの課題の概説

どれも興味深い。

  • 今回の読書から飛鳥、奈良に集中した記憶年表も作成しているので、後日アップする。
  • また、小墾田宮ひとつをとってみても、当時の大和と河内を結ぶ交通路を知らないといけない。なので、この点はまたマイマップを作る予定。