浄土宗の概要をおさえておく


日本浄土宗の概要を知るために、法然が作った浄土宗の聖典「選択集(選択本願念仏集)」の読み解きを進めている。

 

これまで、唐代の西暦500年前後に中国浄土教の大成の基礎を築いた初祖・曇鸞(どんらん)に始まる歴史などを整理してきた。この歴史の中で、法然が、誰の書をどのように解釈して、何を選択(せんちゃく)したのかを読み解きしている。

 

その作業の中で、いろいろな「書」や「疏(書を開設したもの)」と出会うが、仏語の基礎知識もないために、これを全部読むこともできない。そこで、日本浄土宗が言わんとする思想の概要(大枠)を先にとらえてみようと思い、学研「日本の仏教の辞典」2009年第一版、と浄土宗辞典を参考に概要を整理してみる。


浄土教(あるいは、阿弥陀教)の根本経典

 

法然が所依の経典として定めた『無量寿経』『観経』『阿弥陀経』の総称。

 

浄土往生を説く経典が多く中国に伝えられたなかにおいて、『無量寿経』は12回、『観経』は2回、『阿弥陀経』は3回翻訳されたと伝えられている。

 

法然は、その中より、

  1. 康僧鎧(こうそうがい、三世紀頃、現在のウズベキスタン出身)訳の『無量寿経』2巻
  2. 畺良耶舎(きょうりょうやしゃ、五世紀頃の中央アジア出身)訳の『観経』1巻
  3. 鳩摩羅什(くまらじゅう、四世紀末頃、現在の新疆ウイグル自治区出身)訳の『阿弥陀経』1巻

の3部4巻の経を選択して「浄土三部経」と名付け、正しく往生浄土をあかす経とした。

これが法然の『選択集』

 

その中身を調べるため、浄土宗大辞典「浄土三部経」の解説を以下に借用する。 


 

法然の決定の依り処となったのは、善導『観経疏』散善義にあかす就行立信(じゅぎょうりっしん)釈である。ここでは、本願に対する深信を確固たるものにするために行ずる五種の正行を説くが、その初めに読誦正行すなわち、『観経』『阿弥陀経』『無量寿経』等の読誦をすすめている

 

これは本願に対する信心を確固不動のものにするために修する行であるが、法然はこれを浄土往生の五種正行(往生行)とし、世親『往生論』・曇鸞『往生論註』・善導『往生礼讃』等が重視する五念門を無視している。このように五種正行の初めに出る読誦正行には明確に三経の名を列記していることから、「偏えに善導一師に依る」という立場で『無量寿経』等の三経を「浄土三部経」と名づけたのであろう。

 

『無量寿経』は元来、大乗菩薩道を実践した法蔵菩薩の四十八願とその成就による阿弥陀仏の構える浄土の荘厳の美をあかし、その浄土へ往生を願う上中下輩の三類の人が修する行を説いている。これに続いて現世が貪・瞋・痴の三煩悩および五悪によって汚れた世界であることをあかして浄土願生をすすめている。

 

『観経』は王舎城における国王家族の家庭悲劇によって苦境に陥った王后の韋提希夫人が釈尊に救いを求め、苦悩のない安楽浄土を求めたのに対し、釈尊は一六種の観想行を説いて浄土は美しく安楽な国土であって、すぐれた仏・菩薩がましまし、その浄土に往生する行等についてそれぞれに観想行を説き、終わりに阿難に名号を付属したことをあかしている。

 

『阿弥陀経』は西方十万億仏土を過ぎたかなたに極楽浄土の在ることをあかし、その浄土は七宝で出来た美しい世界であり、教主は光明無量・寿命無量の阿弥陀仏であり、浄土に往生した者はみな不退転位が得られるとして、浄土往生をすすめ往生行として名号の執持七日間の行を説き、命終には仏の来迎が得られるという。この名号の執持による往生に疑惑の生ずることをおそれて、東南西北下上の六方世界にまします諸仏が証明され、教えのごとく行ずる者は現世において諸仏護念、来世往生の益が得られることを説きあかしている。

 

このように三部経は、通じて浄土の美と楽をあかし、その浄土へ往生するために修する諸種の行を説いているが、法然は善導の意をうけて、「三経は共に念仏を選択して以て宗致となす」(『阿弥陀経釈』昭法全一四五)といって三経の主意は通じて念仏往生にあるという。これが法然の三経観であり、一具経とし、さらに正往生教、有功往生教、具足往生教と呼んで(『無量寿経釈』六八)三経相互の間に差別をつけない。しかし、それぞれの経は独立した経典であるから特色として『無量寿経』は本願念仏、『観経』は念仏の末法付属、『阿弥陀経』は念仏往生の証明を説くことを主意とするという。さらに法然は三経に七選択ありといって『無量寿経』に選択本願・選択留教・選択讃歎の三をあかし、『観経』では選択摂取・選択付属・選択化讃の三を、『阿弥陀経』では選択証誠の一をあかしている。これは浄土往生の行に種々な行があるが、弥陀・釈迦・諸仏は念仏の一法のみを選び取って本願を誓い、また六方諸仏が証明したのであって、七選択は弥陀・釈迦・諸仏の大悲を具体的に示したものということができる。

 

さらに、

三経相互の関係について説示次第といって、釈尊は初めに『無量寿経』を説き次いで『観経』続いて結経、勧信の経として無問自説の『阿弥陀経』を説いたという。

 

  • その中で『観経』については、一経二会、一経両宗が説かれ、観仏は王舎城宮と耆闍崛山(ぎじゃくっせん)の二会の説法を記すものであり、さらに観仏三昧と念仏三昧の二宗を説く経とする。
  • 浄土宗義は三経について「総依三経別依一経」といって、三経の中で特に『観経』を重視する。これはいうまでもなく、善導の『観経疏』散善義に説かれる五種正行の中の称名正行をもって「順彼仏願故」の行としていることが、法然の浄土開宗の契機をなすものであり、この点より『観経』を重視するという。
  • さらに『阿弥陀経』については三経の結経といい、仏に問を出す言葉のないところより無問自説の経という。さらに六方諸仏の証誠について、念仏往生に誤りのないことを信ずる勧信の経ともいわれている。

なお『阿弥陀経』の読誦について、法然は毎日唐音・呉音・訓読みで三巻を読んだといわれ、隆寛は法然が『阿弥陀経』を四八巻読んだことを伝えている。しかし後には読誦をやめ、ただ念仏のみにしたといい、隆寛は念仏三万遍を称えたという。 


と解説されているが、いきなりは理解できない?!

 

なので、今日から上の解説文を以下のように整理整頓して、凡人の筆者が時間をかけて解釈してゆこう。先ず、上の解説文を少し段落をつけるなど整理整頓して、使われている仏語などを解説してゆこう。


 

法然の決定の依り処となったのは、善導『観経疏』散善義にあかす就行立信(じゅぎょうりっしん)釈である。ここでは、本願に対する深信を確固たるものにするために行ずる五種の正行を説くが、その初めに読誦正行すなわち、『観経』『阿弥陀経』『無量寿経』等の読誦をすすめている

 

これは本願に対する信心を確固不動のものにするために修する行であるが、法然はこれを浄土往生の五種正行(往生行)とし、世親『往生論』・曇鸞『往生論註』・善導『往生礼讃』等が重視する五念門を無視している。このように五種正行の初めに出る読誦正行には明確に三経の名を列記していることから、「偏えに善導一師に依る」という立場で『無量寿経』等の三経を「浄土三部経」と名づけたのであろう。

 

『無量寿経』

元来、大乗菩薩道を実践した法蔵菩薩の四十八願とその成就による阿弥陀仏の構える浄土の荘厳の美をあかし、その浄土へ往生を願う上中下輩の三類の人が修する行を説いている。これに続いて現世が貪・瞋・痴の三煩悩および五悪によって汚れた世界であることをあかして浄土願生をすすめている。

 

『観経』

王舎城における国王家族の家庭悲劇によって苦境に陥った王后の韋提希夫人が釈尊に救いを求め、苦悩のない安楽浄土を求めたのに対し、釈尊は一六種の観想行を説いて浄土は美しく安楽な国土であって、すぐれた仏・菩薩がましまし、その浄土に往生する行等についてそれぞれに観想行を説き、終わりに阿難に名号を付属したことをあかしている。

 

『阿弥陀経』

西方十万億仏土を過ぎたかなたに極楽浄土の在ることをあかし、その浄土は七宝で出来た美しい世界であり、教主は光明無量・寿命無量の阿弥陀仏であり、浄土に往生した者はみな不退転位が得られるとして、浄土往生をすすめ往生行として名号の執持七日間の行を説き、命終には仏の来迎が得られるという。この名号の執持による往生に疑惑の生ずることをおそれて、東南西北下上の六方世界にまします諸仏が証明され、教えのごとく行ずる者は現世において諸仏護念、来世往生の益が得られることを説きあかしている。

 

法然の「三経観」:法然が解釈する「三経の主意」

  • 三部経は、通じて浄土の美と楽をあかし、その浄土へ往生するために修する諸種の行を説いているが、法然は善導の意をうけて、「三経は共に念仏を選択して以て宗致となす」といって三経の主意は通じて念仏往生にあるという。これが法然の三経観であり、一具経(ワンセットの経)とし、さらに正往生教、有功往生教、具足往生教と呼んで三経相互の間に差別をつけない
  • しかし、それぞれの経は独立した経典であるから特色として、
    1. 『無量寿経』は本願念仏
    2. 『観経』は念仏の末法付属
    3. 『阿弥陀経』は念仏往生の証明を説く

ことを主意とするという。

  • さらに法然は三経に七選択ありといって、
  1. 『無量寿経』に選択本願選択留教選択讃歎の三をあかし、
  2. 『観経』では選択摂取・選択付属・選択化讃の三を、
  3. 『阿弥陀経』では選択証誠の一をあかしている。
  • これは浄土往生の行に種々な行があるが、弥陀・釈迦・諸仏は、念仏の一法のみを選び取って本願を誓い、また六方諸仏東・南・西・北・下・上の六方の仏国土において阿弥陀仏の本願の誤りなきことを証明する諸仏のこと。羅什訳『阿弥陀経』の後半部分に登場し、この部分を六方段という)が証明したのであって、七選択は弥陀・釈迦・諸仏の大悲 仏語。衆生の苦しみを救う仏の広大な慈悲)を具体的に示したものということができる。

 

さらに、

三経相互の関係について説示次第といって、釈尊は初めに『無量寿経』を説き次いで『観経』続いて結経、勧信の経として無問自説の『阿弥陀経』を説いたという。

 

  • その中で『観経』については、一経二会、一経両宗が説かれ、観仏は王舎城宮と耆闍崛山(ぎじゃくっせん)の二会の説法を記すものであり、さらに観仏三昧と念仏三昧の二宗を説く経とする。
  • 浄土宗義は三経について「総依三経別依一経」といって、三経の中で特に『観経』を重視する。これはいうまでもなく、善導の『観経疏』散善義に説かれる五種正行の中の称名正行をもって「順彼仏願故」の行としていることが、法然の浄土開宗の契機をなすものであり、この点より『観経』を重視するという。
  • さらに『阿弥陀経』については三経の結経といい、仏に問を出す言葉のないところより無問自説の経という。さらに六方諸仏の証誠について、念仏往生に誤りのないことを信ずる勧信の経ともいわれている。

なお『阿弥陀経』の読誦について、法然は毎日唐音・呉音・訓読みで三巻を読んだといわれ、隆寛は法然が『阿弥陀経』を四八巻読んだことを伝えている。しかし後には読誦をやめ、ただ念仏のみにしたといい、隆寛は念仏三万遍を称えたという。