黒岩重吾「役小角仙道剣」


2005年文庫初版。

 

7世紀後半の大和。修験道の開祖と仰がれ,神変大菩薩の勅諡号を受けたる役小角(えんのおづぬ)が、厳しい律令制度に虐げられる人々を救うために、異能を駆使して権力者に立ち向かう姿と伊豆に配流されるまでを描いた歴史小説。

 

立花靖広「史実と伝説の間にみる役行者の魅力」湖北紀要No29(2008)を参考にさせてもらうと、

 

時代は6世紀の鉄の生産を中心とする「古代産業革命期」を経て、壬申の乱後は中央集権化の強化とともに大宝律令の完成へと向かう歴史の転換期であった。山野での自由な行動など押しつぶす流れの中にあった。弱い母を人質にとられ自ら縄につき伊豆へ配流されたのであった。

 

平安時代初期から新たに伝説に加わった、小角が感得したという蔵王権現は憤怒の像である。時代のままならぬ理不尽さに対する火を噴くような怒りを代弁しているかのようである。

 

...なるほど、平安時代に伝説が加わり、その足跡を伝える説話が全国の霊山幽谷の地にできあがった訳だ。

 

ついでに、役小角の人物像をメモる。

  • 出身

賀茂の一族、のちの高賀茂朝臣の出身で、大和国葛木上郡茅原村(奈良県御所市)の人と伝えられる。大和国葛城山で修行し,呪術にすぐれた神仙として知られ,多くの伝説が生み出された。

  • 飛鳥時代に入唐して法相宗を伝えた僧・道照、その弟子の行基との関係

黒岩小説では、役小角は最初、道昭に仕え、そこから葛城山などに修行を始める。その後、道昭は役小角の評判が高まると藤原不比等の要請もあり、小角と面会する場面がある。この面会に際し、従者になっているのが行基。道照、行基を黒岩が登場させた背景を調べてみる。

 

立花靖広「史実と伝説の間にみる役行者の魅力」湖北紀要No29(2008)では、

 

東大寺大仏建立などでよく知られた僧・行基は、道昭の弟子で、道昭から薬師寺で法相宗を学んだとされる。また、黒岩小説では、小角に弟子入りを願うが断られているが、小角の修行場である葛城で修行した呪術者ともいわれる。布教の呪術的性格のゆえにしばしば弾圧される。弾圧されながらも池水・土木・農事指導などの社会事業をやめることはなかった。民衆の厚い支持を得ているために、大仏建立で起用されたとされる。

 

道昭は遣唐使として入唐し玄奘三蔵(三蔵法師)の教えを受け、わが国に初めて法相宗を伝えている。道昭もまた、井戸、橋を架けるなどの社会事業を行った。

  • 鴨氏・本宗家が葛城の地に高鴨神社を建て勢力誇示をするためには、葛城山など周辺の山々を修行の場とし、周りの人民に崇められる役小角が邪魔になる。理由はこれだけではなく、朝廷側からみると、律令政治に反乱を起こす主謀者となりうるだけに、最終的には、老いた母親を人質に取られるものの、役小角本人の意思で伊豆に配流する。

 


物語には修行場所がいくつも出てくるので、その山々と上記した神社の場所をメモっておく。