古代史の基礎3-5②(弥生青銅器の祭器化 続き)


前回ブログまで、吉田資料1の第2章「弥生青銅器の祭器化」を読んできた。

 

 次に、第2章の最後の節になる「2-5 銅鐸の変容を読んでいこう。

この節をざっくり読む限り、銅剣と銅鐸の鋳造技術とその同笵(どうはん、鋳造に同じ鋳型を用いていること)性の違いから、弥生後期に向けて青銅祭器としてそれぞれの特長が継続されていくことが語れているよう。

 

なので、下記の「2-5-1 武器形青銅器の同笵」と「2-5-2 銅鐸の同笵関係」を合わせて読んでいく。

 

2-5 銅鐸の変容

2-5-1 武器形青銅器の同笵

2-5-2 銅鐸の同笵関係

2-5-3 武器形青銅器と銅鐸の方向性の差異


2-5 銅鐸の変容

2-5-1 武器形青銅器の同笵

2-5-2 銅鐸の同笵関係

 

銅鐸の祭器としての地位は,金属器のもつ音響性と文様をもった立体物としての造形性に依拠していたとした。この祭器たる特性が,中期後葉前後から実は変容していく。手がかりは,同笵品のあり方などの製作技術である。

 

...確かに、武器形青銅器も銅鐸の製作は、実用や祭器用にしても青銅器の生産性が高いことが要求される。つまり、鋳造技術として当然鋳型の完成度が高ければ、その生産性は高まる。また、大型の鋳型製作が出来れば、祭器の大型化もできることになる。

 

ここで、武器形青銅器と銅鐸を完成品に仕上げる工程を考えてみると、

  • 武器形青銅器:鋳型で鋳造された武器形青銅器は、刃を作る研ぎ工程が必要

幾ら鋳造しても工程としては最後の研ぎ工程が重要になり、最後の生産数を上げるには、それに応じた研ぎ職人を増やす必要がある。鋳型があっても必ずしも生産性が高まるとは言えない。

  • 銅鐸:複雑な文様が鋳造できる鋳型の完成度が必要

鋳形の完成度が高まれば生産性は高まる。

 

となる。この点を前提にして、青銅器武器と銅鐸の同笵性について吉田資料1を読んでいこう。


先ず、吉田資料1が表3の中で引用しているのは、

 

  • 器として鋳造後に研ぎが加えられる武器形青銅器にあっては,同笵関係の抽出はほぼ不可能であると考えられてきた。
  • しかし,358 本という大量資料と,ほとんど研ぎを加えていない B62 号銅剣ほか,研磨工程各段階の痕跡が豊富に見いだせ,
  • 研ぎによる造形と鋳造による造形の峻別を明確にできた荒神谷銅剣の分析では,358 本中の 296 本で,最大 5 本の同笵組を見いだせ,鋳型数で226 個の鋳型1 鋳型平均の鋳造本数は 296/226 ≒ 1.31 本と算定された[松本 ・ 足立編 1996]

 

武器形青銅器同笵関係初めての認定であり,この値がどのような意味をもつのか,正直大量生産の割に同笵品製作による省力化はあまり達成できていないのではないかと感じつつも,さらなる分析を経ることとした。

 

...確かに、下図を見ても分かるように、平均鋳造数が1.31であったり、同笵組数も20%と低い値から、「同笵品製作による省力化はあまり達成できていない」という点が指摘されていることに納得する

 

吉田氏は、分析対象を銅戈や銅矛まで広げて得た結果を表3として整理している。これを見ても分かるように、同笵組比率は最大20%止まりであることから、

  • 明らかに同笵でないことが見いだせる場合が圧倒的に多く,武器形青銅器における同笵は決して多くないと予測されるに到った[柳浦ほか 2004]。武器形青銅器の石製鋳型使用は,同笵品製作による省力化を意図したものではないことになる。

つまり、鋳型製作は、生産性を高めること自体が目的ではなく、研ぎ前の半完成品を作ることになる。ということは、クニの繁栄のため大量な武器形青銅器必要になるならば、その地域で鋳造製作と鋳造技術、及び研ぎに関する技術者の確保が最初の重要政策になるわけだ。

 

そうなれば、中国本土、朝鮮半島と言葉が通じ、かつ政治感覚のある人がいなければ人材確保すらできない。優秀な渡来人がいなければできない話だ!倭国から半島に移住して、こういう人に成長する人とか、半島の人が半島に住む倭人から言葉を習って渡来した人か。。。

 

...以上の武器形青銅器や青銅祭器の同笵性に比べて銅鐸の同笵性はどのようになるか?

 

他方,銅鐸には同笵関係が多数知られ,石製鋳型を何度も補修しながら複数回の鋳造を行っていたことが,通則の観すらある。

  • 難波によれば,進行した笵傷の存在から菱環鈕式の段階でも同笵関係の存在が推察でき,実際の同笵関係は外縁付鈕 1 式から確認できる[難波 2000]。

古い段階の銅鐸は決して良好な鋳上がりでなく,大きな鋳造不良が生じた場合,鋳込み自体のやり直しが想定でき,同笵銅鐸という形で現れてなくとも,鋳型の複数回使用はむしろ通例であった。以後,石製鋳型の扁平鈕式古段階まで高い比率で同笵銅鐸が存在する。1 鋳型での製作個数も最大 7 個を数え,正確に算出できないが,

  • 1 鋳型あたりの平均鋳造数は銅鐸群によっては優に 2 を超え,武器形青銅器との格差が大きい。同笵組比率で比較しても,武器形青銅器では彫り直し可能性例を算入してもようやく 20%に届く程度であるのに対し(表 3),銅鐸ではこの値が最小値で,最高は 70%を超える(表 4 上段)。

ところが,このような高頻度の同笵銅鐸も,扁平鈕式新段階以降激減する。

  • 同笵製作可能な石製鋳型から,複数回使用が難しい土製鋳型に転換するからに他ならない。

使い回しが利き製作の省力化が大きい特性を退けてでも,鋳型の素材転換を図った意図はどこにあったのか。

  • 銅鐸鋳造技術の一端である鋳掛け補刻の展開から,推し量ることができる。

【鋳掛け(いかけ)破損した銅器や鉄器を、その割れ目に溶融はんだや銅を流し込み凝固させて修理すること。近世の江戸や大坂には、所要道具を天秤棒(てんびんぼう)で担ぎ、「いかけ、いかけ」と呼び歩き、家々から注文があるとその場にふいごを据えて即座にこの方法で鍋(なべ)、釜(かま)を修理する鋳掛屋がいた。

【補刻(ほこく)】型取りしきれなかった部分を、実物と比べながら補って刻む(きざむ)こと

 

これらの出現状況を難波の整理に基づいて整理したのが表 4 下段である。

  • 菱環鈕式・外縁付鈕 1 式の段階では,文様鋳出不鮮明な銅鐸が比較的多く,鋳掛けは存在するが少なく範囲も狭い。既述のように,大きな鋳造不良が生じた場合は鋳込み自体をやり直したのである。
  • 外縁付鈕 2 式になると,鋳出不鮮明なものは減少し,鋳掛けの多用と広範囲化が認められ,強度を補う円形の足掛かり孔も出現する。そして鋳掛け部分への追加施文として陰陽逆転となる補刻が始まり,扁平鈕式新段階では陰陽逆転のない文様連続を企画した鋳掛けも現れる[難波 1999・2000 等]。

つまり,外縁付鈕 2 式以降文様鋳出の要求に応じた技術対応が図られているのである。

そして,

  • より鮮明な文様鋳出に適合した技法として,扁平鈕式新段階土製鋳型が採用され,その延長により太く突線化した文様をもつ突線鈕式の出現も位置づけられる[柳浦ほか 2004]。
  • 同時に,銅鐸の大型化への途をも開いた技術転換である。

...なるほど!扁平紐式古段階まで石型鋳型を利用し、かつ鋳掛と補刻技術によって銅鐸の同笵率は高かった。しかし、文様の複雑さと大型化への要求から土型鋳型に代わり、扁平紐式新段階へと移って行くことが理解できた。

 


ここまで、「2-5 銅鐸の変容2-5-1 武器形青銅器の同笵2-5-2 銅鐸の同笵関係を読んできたので、2-5節最後の「2-5-3 武器形青銅器と銅鐸の方向性の差異 」の要点を整理しよう。

 

(中略)

そして,このような地域結合の背後で,本来の機能喪失,見た目の大型化という点で武器形青銅器と銅鐸が同じ変化を辿りながら,

  • 武器形青銅器:武器に本来的な金属光沢を強調する方向で祭器化を推進
  • 銅鐸:音響効果や金属光沢よりも文様造形性を重視する方向に進む

という方向性の異同を生じていたのである。

 

...以上、吉田資料1の第2章「弥生青銅器の祭器化」において、青銅器が祭祀用に変化してゆく流れを時代と共に読んできた。

 

上記のポイントを同資料の図26に書き込んだものが下図である。

 

次回は、吉田資料1の最終章「弥生青銅器祭祀の終焉」について整理する。