古代史の基礎7①(弥生時代後期から古墳時代へ)


これまで古代史の基礎として、弥生長期編年をもって、青銅器、鉄、墳墓、土器などの遷移、また、炭素14年代法による年代特定の考え方も読んできた。これらをおさらいしようと思うと、どうも詳細(重箱の隅)に入りそうである。

 

ここ数日関係資料を探しているうちに、歴博研究報告書の中に、弥生時代後期から古墳時代に向かう社会の流れに関係史た論文を見つけた。考えてみれば、これまで大まかにも弥生時代の文化などを見てきたので、要するにその社会の流れが次の古墳時代に如何に繋がっていくのかを整理すると、これまでのオサライと古墳時代への連続性を掴めることになる。

 

なので、古代史の基礎シリーズとしてオサライを兼ねて、以下の論文を読みながら整理してみようと思う。

 

なお、参考論文や書籍が今後増えるので、文献番号として、「古代史7」+「番号」という氷位にする。

【参考論文】

古代史7①岸本直文「倭における国家形成と古墳時代開始のプロセス」、国立歴史民俗博物館研究報告 第 185 集 2014 年 2 月


先ず、古代史7①第1章「14C 年代の検討」では、

 

(中略)古墳時代の始まりを考える上で、考古学的事象と,〈魏志倭人伝〉からうかがえる 2 世紀後葉の倭国乱や 3 世紀初頭の倭国王共立をあわせて考えることが必要であるが,そのためには,考古学的事象の年代が正確でなければならない。

 

という年代の正確性の必要性を最初に述べ、2014年時点の炭素14年代法を用いて、土器様式各段階の年代を定義している。この新たな年代観ベースにして、弥生時代から古墳時代への転換に関して以下の要旨を展開している。

 

第2章 ヤマト国の形成

2-1 畿内における集落の再編

2-2 広域地域圏の形成される弥生時代後期

2-3 ヤマト国の成立と形成

第3章 ヤマト国の評価

3-1 畿内の潜在的生産性

3-2 青銅器生産

3-3 武器の発達

3-4 「見る銅鐸」

3-5 鉄器化の進行

3-6 中国鏡の入手

3-7 小括

第4章 ヤマト国本拠としての纏向遺跡の形成

4-1 纒向遺跡出現の意味

4-2 2 世紀後半のヤマト国の求心性

4-3 倭国王帥升とは

第5章 纏向型前方後円墳論

5-1 纒向諸墳はヤマト国王墓

5-2 3 世紀前半における前方後円墳の共有

5-3 前方後円墳を生みだしたのはどこか

5-4 楯築墓と纒向石塚古墳の時期差

5-5 纒向石塚古墳の起源

5-6 纒向石塚古墳築造における楯築墓との関係

5-7 小括

第6章 古墳時代の定義

6-1 古墳時代とはなにか

6-2 何をもって古墳とよぶか

第7章 倭における国家形成論のために

7-1 2 世紀後半のヤマト国の求心性

7-2 3 世紀初頭の倭国形成が出発点

7-3 前方後円墳共有システム

7-4 統治システム

7-5 軍事力の整備

7-6 地域権力の従属

7-7 小括

おわりに 


今回のブログでは、古代史7①第1章「14C 年代の検討」が、1世紀から3世紀の時代特定をするための物差しであるため、その結論を図1に追記しておく。

 

年代測定は奈良盆地で出土している大和の弥生土器・荘内式土器・布留式土器の三種類の土器様式を取り上げ、その年代を定義している。

 

以下の図は、論文・図1において炭素14年代法の計測値と校正曲線の関係から明らかに年代を特定しているものに、青、緑、紫色の〇塗りつぶしを追記した。□の点線は、炭素14年代法の測定値から年代を特定した対応を示した。また、論文で明確に3つの年代を定義したものを、□枠で示した。


一応、特定された年代を別表で示しておく。

土 器 様 式 年 代

 第Ⅴ式

(弥生時代後期の土器様式)

1世紀前葉~2世紀前葉 
庄内式 2世紀第2四半期~2世紀後葉
布留式 3世紀第2四半期~3世紀後葉