黒岩重吾「茜に燃ゆ 小説 額田王」


初出1992年2月中央公論、文庫本1994年7月初版中公文庫。初出から30年。

 

乙巳のクーデターから3年後の648年、退位した皇極大王(後の斉明大王)に15歳で仕える額田王から始まり、672年7月の壬申の乱が終わる頃までの歴史小説。「中大兄皇子伝」と「天の川の太陽(壬申の乱)」と共に併読すると「天の川の太陽」の面白さも額田王の人物像もすんなり入ってくる。

 

歌人である額田王と大海人皇子、天智大王との恋愛が小説的に描かれている。黒岩重吾が描く額田王は、男性から思い描いた理想的な女性像のように思う。一夫多妻制の中でもきりっとした妃でいられたとしたら、如何なる女性であるかを思い描いたのであろう。確かに、三角関係で嫉妬の嵐に巻き込まれる女性像(これが一般的だと思うが)ではなく、天才的な歌人であったことを通して独特の額田王像が描かれる。これを引き出す演出は、一歳年上の鏡女王を登場させていることだと思う。

 

いろいろな歌が残されているが、小説のテーマにあるように、「茜」が出てくる歌がある。

 

667年近江大津宮に遷都した翌年668年は、皇太子であった中大兄皇子が漢風諡号天智として天皇につき年(大王から初めて天皇と改めた)、大海人皇子が皇太子になった年。時に、天智43歳、大海人皇子38歳、額田王35歳。

 

668年5月に天智天皇の勅により、近江の蒲生野(現在の安土辺り)で狩猟が行われ、狩猟が終わった後の宴で読んだ歌に「茜」が出てくる。ちょっと、小説の原文を借用すると、

 

...土市皇女の言葉に額田王は口を閉じ、茜雲が燃えている西の空を眺めた。近江と山背の境の山々が朱色に染まっていた。早朝の蒲生野で眺めた日の出の茜色は神々しかったが、迫りくる黄昏を前にし、空に向かって燃え上がっているような虹は、生命の穂脳を感じさせた。そういえば、額田王の顔も、そして眼も、茜色に映えたように微かに赧らんでいる。母上は、天王よりも父上を愛されているのではないか、と土市皇女が強く感じたのはこの時だった。その夜、狩猟に参加した人びとは天皇が主宰する酒宴の席で歌と詠んだ。額田王と大海人皇子の歌はあまりにも有名である。

 

あかねさす 紫野行き 標野(しめの)行き 野守は見ずや 君が袖振る

 

紫草(むらさき)の にほへる妹を 憎くあらば 人妻ゆえに われ恋ひめもや

 

数々の代表的な歌を年表で書かれている記事もあるので、そちらも参考に。


「茜に燃ゆ」では登場人物の相関図がないので、「中大兄皇子伝」にあった相関図に額田王の父母や鏡女王の系図を付け加えたものを作った。


額田王の出身は、近江の鏡山の近辺(=鏡王の勢力地域)と言われているので、グーグルアースで鏡山を探してみた。

 

また鏡山の東方には、額田王像、大海人皇子と額田王の銅像がある妹背の里公園や額田王の歌碑がある市神神社がある。

また、額田王の墓と言われる古墳(この頃は、新たな古墳築造のないはずなので、古墳の近くに埋葬か?)は、明日香村の入り口辺りにある野口植山城跡ではないかと言われている。