森浩一「敗者の古代史」再読17章:有間皇子と塩屋鯯魚(このしろ)


孝徳大王を父に、阿部倉梯麻呂の娘・小足媛を母にする有間皇子が、658年(斉明4年)斉明大王と中大兄皇子への謀反の罪で有間皇子の腹心である塩屋鯯魚(このしろ)と共に処刑された。有間皇子19歳。


今回は、

①軍事氏族である阿部氏の郷

②紀の水軍に関係した塩屋鯯魚の郷

③有間皇子が処刑された藤白坂

④藤白坂近辺にある有間皇子のお墓

⑤有間皇子神社

について探索した。

①阿部氏の郷として「敗者の古代史」17章に記されている古墳をグーグルアースで探した。

桜井駅の南側、崇峻大王の倉梯宮の北側に阿部氏の古墳群があるのが分かる。

⑤の有間皇子神社にある看板はこちら。

有間皇子神社の近くにある皇子の墓はこちら