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義母のお通夜と本葬


2022年5月23日(月)お通夜、24日(火)葬儀が執り行われた。義父が亡くなったのは2014年2月なので、義母は約8年半後に義父の待つ天国へと旅立った。老々介護であるにも関わらず最後まで同居し、義母の面倒を見、立派に送り出した義兄夫婦には感謝に尽きる。

 

また、義祖父・母と義父母の4人共に米寿を迎え、90歳代で天命を迎えるという理想的な終焉である。お通夜と葬儀は、実家の広い座敷で地元の菩提寺から住職を招き、お通夜から葬儀まで執り行うのが慣わしである。もちろん、この葬儀全般の支度は、喪主家族ではなく隣近所や縁戚者らの協力のもとに行われる。時代と共に簡素化されているようだが、それでも核家族化された都会人家族だけでは実現できない葬儀である。

 

回は実家で納棺と出棺をして通夜と葬儀の会場に全員で移動した。お通夜から葬儀までの大まかな流れと、その中で印象に残ったことを記録にとどめておくことにしよう。


実家での納棺と出棺

 19日午後3時に亡くなった義母は、同日夕方には実家に帰ってきた。19日からお通夜の23日まで実家の仏壇の前に安置され、多くの近所の人や縁戚者が焼香に訪れた。

 

 実家は、名峰・八海山の里の奥にある。今回、GoogleEarthを使って、八海山と実家の位置関係を見てみた。

 

真の手前の実家から見る八海山の山容はいつ見ても素晴らしい。また、実家の右上には、銘酒・八海山に使われている雷電様の水と呼ばれる湧水がこんこんと流れている。一方、写真の一番右側にある法音寺が実家の菩提寺である。法音寺と雷電様の水の言われについては前回のブログで詳細を書いた。


棺の際に、義母の思い出の品々を親族で集めて棺に収めた。その中から印象に残ったものを二つ写真に収めてきた。

義母が最後まで過ごした部屋

義父と二人が写る珍しい写真

 

 

よく特徴をとらえた似顔絵


た、納棺に入れる物を探している際に、自分の長男(現在35歳)が中学3年生の時に書いた作文が見つかった。当時、これを詠んだ家内が義父母に贈ったものだと思われる。

 

テーマは、「暖かい新潟・六日町」。文を読む限り、恐らく「暖かい」ではなく「温かい」の誤字であるが、それもご愛敬。内容は、温かくもてなしてもらった喜びを書いている。今回、この作文オリジナルは自宅に持ち帰った。


棺の儀も無事おわり出棺の段階では、既に多くの隣人や老人会の人びとが実家前に参集していた(70~80人ぐらいだったろうか)。長男である義兄からお礼の言葉を述べ、出棺となった。義父の際には無かったと思うが、さすがの義兄も少々涙を抑えることはあった。幸いのことに、雨も午前中に上がり、出棺の際は傘も不要な状況だった。

 

② お通夜と葬儀の会場と式次第

会場は、JAみなみ魚沼が経営する虹のホールみなみ。写真の右側にJR六日町駅、その左に今回の葬儀会場(JAみなみ魚沼・虹のホールみなみ)がある。実家からも遠く離れておらず、また、この会場からの八海山の山容はちょうど実家から眺めたものとほぼ同じようなものだった。後ほど、会場から八海山を眺めた写真を載せる。

 

通夜から葬儀の式次第(下の写真)にあるように細かく定められていたが、すべて滞りなく進行した。

お通夜・本葬儀 式次第



③ 義母の戒名について

提寺の真言宗・法音寺から頂いた戒名。法音寺は、約1300年前の奈良時代初期・天平七年(西暦735年)に、藤原不比等・四男の藤原麻呂(京家の祖)が聖武天皇の祈願道場として創建したと伝えられている。

 

真言宗の「戒名」の解釈を調べて、義母の戒名の意味を理解してみよう。

 

●戒名とは、仏の弟子になった事をあらわす名前。戒名は、仏の世界では平等であるということから、どんな身分の人でも2文字で表される。

 

戒名の「戒」という文字には戒め(いましめ)という意味がある。

仏戒といって、仏教において守らなければならない戒律のことで、「戒」はさとりを目指して個人が守らなくてはいけない決まり。「律」は集団で生活する僧侶の生活上の規則を守る上での規則。よって戒律は、仏教信徒が守るべき行動規範であり、在家や出家の違い、男女の性別によっても変わる。

 

ちなみに、浄土真宗では戒律がないため、戒名という言葉は使わず、法名といい、また日蓮宗など法号という。いずれも仏弟子となることを表した名前である。

 

●真言宗の戒名の構成は、一般に、梵字+②院号+③道号+④戒名+⑤位号」のようである。

 

●ここで、戒名に現れる「〇〇院」という②院号は、生前に寺院を建立する程貢献した人、相当の地位や身分の功労者だけが授かるもの。一般の人の戒名には院号はないようだ。

 

上記の構成を参考にして、義母の戒名の構成をみると、

① 梵字

戒名の先頭にある梵字は、「ア字の梵字」であり大日如来の仏弟子となったことを表すとのこと。「ア」は梵字の中でも特別で、すべては「ア」から始まり、大日如来を表す

② 院号→なし

④ 戒名→「新室」

  おそらく、法音寺の住職の習わしとして、①梵字の後に④戒名を持ってくると思われる。

住職の解説によると、は、夫の新一から、は、家内の意味。要するに、「仲睦まじい夫婦であった」と解釈できる

③ 道号→おそらく、「妙壽」

妙は女性を意味する(法は男性を表す一文字、ちなみに、我が浄土真宗ではは道号ない)。住職の解説では、壽は米寿を超えた長命の人に与えているとのこと。

④ 位号→「大姉(だいし)

位号は、俗名でいえば「様」にあたる意味で、男性は「居士、信士」、女性は大姉、信女」が用いられている。「居士」「大姉」の方がランクが上で、社会貢献や仏教信の強さによって使う文字も変わるとのこと。



④お通夜の「線香当番」

17時半から始まった法音寺の住職による通夜読経も予定通り行われ、18時から通夜振る舞い(通夜お齋)も19時半に終了した。この後、義次兄と甥っ子の三人は、この土地の習わしにより、本葬儀の朝まで線香の火を絶やすことなく灯し続ける、所謂「線香当番」を担った。

 

ここで、自分として初経験だったのは、この会場には「線香当番」専用の宿泊設備があったこと。この宿泊設備の特徴は、

① お棺と写真、ロクソク台が置かれる専用スペースがあること(下の写真).

② 一晩中線香を炊くことから、空気清浄機があること.(下の写真)

③ ロウソク台の前には食卓、その横には炬燵もあること.

④ ③とは別に3人分の布団が引ける床暖房付の洋間があること.

⑤ 簡単な流し台、電子レンジ、冷蔵庫があり、自炊をすれば何泊か生活できる環境があること.

⑥ 立派なお風呂と着替えが用意されていること.

⑦ ノんべぇにはうれしいことに、部屋に入る前に酒類はどのジャンルからも好きなだけ頼めば運んでくれること.

当番の三人は、さっそく一晩中飲み続けても線香を絶やさないことに合意して、甥っ子にはツマミと氷を買いに行ってもらい当番スタート。当番としてのノルマの達成状況は、

  • 自分は零時半でアウト、義次兄と甥っ子は午前3時にアウト
  • 午前3時までは線香は絶やさず、4時前に起きた自分が引き継いだので、滞りなくノルマ達成した.

三人が起きている時は、甥っ子が線香をあげてくれた。甥っ子はその度にお棺を開けて義母(彼から見ればバァちゃん)を見ていたことが印象に残る。最後には開けっ放しにして三人で義母の顔を拝んだ


⑤葬儀の朝

て、4時に起きた自分は完全な睡眠不足であったが、外に出てみると夜明け前の八海山とその里に素晴らしい雲海がたなびいていた。この角度で八海山を眺めるのは初めてなので一気にそぼ壮大さに目が覚める!

 

5時前後にも再度見に行くと、八海山から日の出を拝むことができた。六日町駅近郊からだと八海山から日が出ることを初めて知った。

【豆知識】若い頃、この山の名前の所以を義父だったからか、「山の頂上近辺に波のように岩山が八つある」と聞いたことがあった。今回、それを思い出し上の写真のうち夜明け前の八海山の山頂だけを切り取り八つの岩山を数えた見たのが次の写真。

 

数え方は微妙だが、大雑把に岩山を数えてみると八ツに間違いなさそうだということにしよう!


事に線香当番のノルマを達成して、朝7時時間通り朝食が運ばれきた。弁当の中身は赤飯と奈良漬2枚、吸い物は豆腐の醤油すまし汁、後はお新香盛り。朝から赤飯なので、義母が大往生だったための祝いのためと思ったが、これも明らかな認識不足だった。

 

そもそもお通夜や葬儀は自宅で行われ、そのためにバックグランドで協力するご近所さんや縁戚者の朝食を賄うため朝食に配る弁当を踏襲したものであった。なので、この場合の弁当は、赤飯弁当と呼ばずおこわ弁当と呼ぶとのこと。また、ひとつこの土地の知識を得たようだ。


⑥ 葬儀

8時には実家からマイクロバスが発って会場に皆が集まってきた

 

9時から読経、11時出棺、11時半には火葬場で最後のお別れ(一番つらい時間帯)をした。

13時過ぎに収骨。この土地では骨壺ではなく桐箱に直接収骨し、納骨の際はお墓の前に遺骨を広げ、参列者が一つづつ手で納骨する。今では都会のお墓ではできない本当の納骨のスタイルだと思う。骨壺ごと納骨したらいつまでも土に戻れないような気がしている。

 

収骨が終わり、葬儀会場に最後に立ち寄った。関係者一同の写真も記念になる。

合写真の後、これもこの土地の慣わしである「寺参り」として全員で菩提寺・法音寺に向かった。

 

儀も無事予定通りに終わり、甥っ子や姪っ子家族は夕方には東京と千葉に帰っていった。今度は7月2日(土)の49日法要で再開予定だ。

 

⑦ その後

その晩には、葬儀参列者に配られた精進寿司をいただいた。これもごっつい巻き寿司で初試食。一人一箱づつ配ったようであるが、そう見ても三人前の規模。味も精進料理の材料(ヒジキやクルミの実など)で作られたもの。美味であった。先の作文を書いた息子も夜8時半に出張先の仙台から焼香に来て、精進寿司をいただいた。

 

翌日、快晴の中、名古屋の義兄を越後湯沢駅まで送り、家内と長男の三人で帰途についた。


後であるが、姪っ子が義母の写真候補として集めたものを掲載しておく。