早いもので5月19日に亡くなった義母の49日法要のため、7月1日から2泊3日で実家に帰った。
期日前(7月7日~9日)と当日選挙(7月10日)のバイト対応のため、ブログ作成が遅くなってしまった。
【スケジュール】
- 7月1日(金)
- 9時に自宅出発
- 12時15分 塩沢・田嶋屋で昼食(天丼セット。家内は天蕎麦)
- 13時15分 JR浦佐駅で義兄をピックアップ
- 14時15分 温泉旅館・龍気に着。チェックインが15時だったがインできた!
- 16時前 義兄と入浴後のビールで乾杯開始
- 18時~19時半 三人で旅館の会場で夕食&飲み会
- 21時半ごろまで 三次会
- 7月2日(土)
- 4時15分起床 始めてきた旅館であったが、また八海山からの日の出を見れた。
- 4時半 近くの「お松の池」を散策。前から気になっていた所。悲しい物語が語り継がれている。
「遠方の温かい地より嫁いで来たお松は、姑から雪国の手仕事・機織の手ほどきを受けていた。機が織れて一人前とされた当時のこと、姑は機織に不慣れな嫁を早く一人前の機織にしたいと日々厳しく指導した。お松は慣れぬ機織に努力を重ねたがなかなか上達せず、次第に気落ちしていった。『いつまでたっても不出来で、一所懸命教えてくれるおっかさまに申し訳ない…この一枚を織り上げたらお暇を頂こう。』そう思い定めたお松は最後の仕事に取りかかり、命を削るようにしてとうとう渾身の一枚を織り上げた。こうして織られた一枚はかつて無い見事な出来栄えで、大変な高値で引き取られた。姑はようやく素晴らしい織り手となった嫁を褒めようとしたが、その時既にお松は小栗山の上にある池に身を投げて命を絶ってしまった後だった。姑はこれを悔い悲しんで涙した。」
と紹介されているが、立て看板と身投げのタイミングが異なる。どちらにしても悲しい物語である。
- 4時40分頃 温泉旅館である龍気は薬石温泉という薬石の上に寝る温泉があるとのこと。立て看板など撮影しながら旅館に戻る。
- 9時前 旅館発
- 9時20分 実家着
- 10時 49日法要(お経は40分に渡る長いものだった)
- 11時 参列者全員で歩いて近くの先祖代々墓へ向かう。
今回は姪っ子家族は小2の長男の発熱で急遽来れず、また甥っ子家族も急遽5人が3人に減った。
納骨が終わり、実家へ帰る前にお墓の前から八海山を撮影。このアングルは、最初に雪が多く残る実家に行った際に義母が保育園児だった姪っ子や甥っ子3人を連れて出来迎えてくれたところ。このブログを書きながら初めて気づいた。
- 12時~14時
義父の時にも開催されたお齋の会が松葉屋で開催された。相変わらず、美味しい昼食と言うより立派な宴会であった。
うかつにも腹いっぱいまで飲み食いをしてしまった!
- 14時10分 自宅前で集合写真。義姉の旦那さんは途中下車のため写真に残せなかった。
- 16時半~19時半
長男と次男の義兄と18時からの夕食開始をまたず、冷たいビールで涼をとる(言訳)
- 20時前
腹がいっぱいの状態で、義姉さんの車で義兄と三人で温泉旅館こいしに到着。
49日法要も滞りなく終えた一日であった。
- 7月3日(日)
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- こいしで朝食を採り、9時過ぎに実家に寄る。
- 10時半 沢山の引き出物と次兄と三人で義兄夫婦に送られて実家発。
- 16時 いろいろと走り回り、三人で無事帰宅。
- 7月4日(月)
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- 9時半に義兄を近くの駅まで送る。
今回も無事に計画通り進んだ。次回皆と再開するのは来年五月の一周忌法要になる。
皆健康でありますように!