北方謙三「悪党の裔」


初出・1992年11月中央公論社。文庫本初出1995年12月18日中央公論社、第7刷2007年4月30日。初出から30年

 

磨・赤松村の赤松円心が主人公。建武の新政が始まる鎌倉幕府討伐に向けた挙兵から始まる。登場人物は、楠木正成、大塔宮(護良親王)、足利高氏(尊氏はその後)、新田義貞など鎌倉幕府滅亡に関係した人物が描かれている。

 

それまで赤松円心が何者であったか知らなかった。足利尊氏が後醍醐天皇にとって逆賊(この時、新田義貞が御旗をもつ)にならないために、大覚寺派・後醍醐天皇と対立する持明院派・光厳上皇から錦の御旗を得ることを尊氏に提案(本文215頁)したのが赤松円心であった。これが南北朝時代を迎えるターニングポイントである。

 

治3年(1277)播磨国佐用庄赤松(現在の上郡町赤松)で生まれた円心について、現在の上郡町観光協会のHPで調べてみた。

赤字は読書を参考に加筆。

 

 赤松則村(出家後に円心を名乗る)は、鎌倉時代から南北朝時代にかけて活躍した武将です。

 

(悪党という意味は、本の最後の解説(清原康正 著)にある。それによると、

平安時代の中期以降には反幕府、反荘園領主的な武装集団が現れる。いわゆる、”悪党”と呼ばれた連中である。”悪党”の”悪”は、文字通りの「悪しき」といった意味もあるのだが、「強き」「猛き」の意も含まれており、夜盗や強盗、阿sン族や海賊ばかりを指しているわけではない。)

 

なので、武将というより、元”悪党”で足利尊氏からの恩賞で大名(当時の武将)になったので、元”悪党”の方が興味をそそるのではないか?

 

建治3年(1277)播磨国佐用庄赤松(現在の上郡町赤松)に生まれました。

 下に現在の上郡町赤松の写真を掲載した。

 

若いころの動向は不明ですが、鎌倉幕府の出先機関である京の六波羅探題に勤務する御家人であったとする説もあります。

いろいろな説があるのですね。

 

また、山陽道に近い赤松の地の利を活かして、中国山地からの木材や鉄などの流通を掌握し、力を蓄えていったとみられます。

そうそう、小説でもこんな感じ。悪しき代官の倉から年貢米を盗む”悪党”の話から小説は始まる。

 

歴史の表舞台に登場するのは元弘3年(1333)57歳の時、後醍醐天皇の皇子である大塔宮護良親王の令旨を受けて幕府打倒の兵を挙げ、山陽道を東上して京へ進攻、六波羅を攻め落とすなど建武政権の樹立に多大な功績を挙げました。

挙兵したところが苔縄城(下の写真)。

 

しかし、政権内部の対立から護良親王派として失脚、足利尊氏が政権に反旗を翻すと行動を共にして政権方と戦いました。

小説では、円心は、この戦いを朝廷側が仕組んだ足利と新田の武士同士の戦いとして傍観している。

 

また、尊氏が敗れて京を追われると、九州へ下って体制を立て直し、朝敵となるのを免れるため後醍醐天皇と対立する光厳上皇より院宣を得ることを進言したといわれています。

この辺が小説のハイライトで、一番盛り上がるところ。円心が九州からの尊氏の東上にあたり、足利討伐に向かう新田勢を白旗城で食い止める。楠木正成が竹早城に籠城して幕府軍に対抗すると同じような籠城策で新田軍に勝利する。

 

その後、新田義貞率いる6万の追討軍を白旗城で50日余り釘付けにして進撃を防ぎ、勢力を盛り返して東上してきた尊氏と合流して京へ攻め入るなど、室町幕府成立の立役者となりました。

 

この功により、円心は播磨国守護職に任命され、その後の守護大名赤松氏興隆の基礎を築きました。貞和6年(1350)京都七条の邸宅で74歳の生涯を閉じ、京都の建仁寺久昌院に墓が、上郡町法雲寺に供養塔がのこされています。

 


の写真に円心の故郷とそこに建てた苔縄城と白旗城の地理を掲載しておく。

 

円心の里は、小豆島の北側になるのですね。


いでに、もう一つ、足利高氏が鎌倉幕府討伐の願分を納めた篠村八幡宮についても調べてみた。以下、篠村八幡宮の公式HPから。

 

元弘3年(1333)4月29日、足利尊氏公が社前に必勝の願文(現存)を奉じて尊王討幕の旗揚げをしたことで知られる

 

 隠岐島から伯耆の国・船上山に脱出した後醍醐天皇を討伐するために、鎌倉から六波羅探題を経由して山陰方面から、天皇討伐のために派遣された尊氏公であった。山陽道軍とともに山陰道軍指揮者として4月27日に六波羅を発った当日、尊氏公は篠村八幡宮に宿営を張ったまま動かず、29日に後醍醐天皇に与する旗揚げ〔神仏に誓って自分の立場を明らかにし、ご加護を願う行為〕をし、主旨に賛同して馳せ付ける近国の武将の到着を待って、5月7日、六波羅探題を攻め滅ぼした

 

 5月8日に新田荘で旗揚げした新田義貞は、尊氏公が派遣した200騎に千寿王〔尊氏の長男:2代将軍義詮〕を加えて、5月21日鎌倉幕府を滅亡させた。戦後の論功行賞で、尊氏は第一功労者として最も厚く遇された(“尊治”後醍醐天皇の諱を賜り、高氏から尊氏に改名・・・史上、天皇から諱を賜った唯一の存在)。

 

その主人公の生い立ちをもとに、何かの気かっけで、目的をもち行動することの繰り返しのような感じである。