海音寺潮五郎「悪人列伝:近世篇」


出は中世篇のあとがきでは、1967年(昭和42年)5月20日となっていたが、近世篇のあとがきでは、昭和36年(1961年)1月から昭和37年2月にかけて「オール読物」に連載されたとある。いずれにせよ、古い本である。1976年1月文春文庫、文庫本新装版2007年1月10日。

 

近世篇では、日野富子、松永久秀、陶晴賢、宇喜田直家、松平忠直、徳川綱吉の史伝が語られている。

 

 

井三四ニ氏があとがきに書いた海音寺潮五郎の「史伝」に関するコメントはその通りだと思った。特徴的なことがあるので、引用させてもらった。

 ...史伝の場合は、史実の紹介と検討、人物および当時の社会への洞察が、ほぼ起こった通りの順番に叙述されているだけだ。ドラマを創作するには構成や人物造形をひとひねりする必要があるが、史伝ではそのひねりが省かれている。よけいな手間をかけていない。もともとドラマを創る気がないのだから、当然である。

 

 しかし、それでも史伝は読み手の感情に訴えてくる。なぜだろうか。

 

 多分読み終えた方は、同じ回答を持っているだろうと思う。ひとつは、歴史そのものがドラマだからだ。劇的状況だからこそ、人びとの目にとまり、書き残されて歴史になっている。...(中略)...苦労して創作せずとも、ひとつひとつの挿話が、すでにドラマとしてそこにあるのである。そんな挿話をきちんとした解釈のもとに紹介しているから、それだけで下手な小説より効果的に読み手の心を動かしているのだ。

 

 もうひとつ、取りあげられた人物が「悪人」であることも重要な要素だろう。悪人の存在そのものがドラマを生むのだから。多分「善人列伝」では、こういう酩酊感は生じないと思われる。