書き物 タイムトラベル

大黒屋光太夫の漂流から企画までのタイムトラベルと年表を完成させた。 グーグルマップで当時の歩んだ道筋を結構探したが、なんせロシア地図の情報不足もあったので概略として道筋を描いた。...

ここ数日間日程を西暦で管理しようとしていたが、和暦とロシア暦で書かれており、その解読にテコづった! 他の資料にも目を通して、三つの暦がどの部分で使い分けられているかがはっきりしたのでデジタル年表に年月日を入力する際のルールを以下とした。

戦前に書かれた吉川英治の三国志を参考に、1800年ぐらい遡って三国志の騒乱地を劉備の視線で旅行してみるつもり。折しも7月9日はから9月15日まで三国志展もあるのでこれを見てからにしよう。
今朝、アップ完了。今から141年前なので旧道をたどるのが大変だった。グーグルマップだけではなく国土地理院地図と同時に見比べて旧道をたどることができる場合はよいが、地理院地図でも峠名や旧道がないところがある。この場合は、地理院地図で旧道があるところの標高図を元に尾根に旧道を延長するなどした。  しかし、イザベラ・バードという中年女性は英国からの支援がかなりあって、西南戦争が終わった翌年の日本奥地探検という使命をもっていたと思われる。
3つある旅程の最後を整理し終わった。青森までも旅程もそうだったが旧街道や峠などを探すのが大変だった。また、全般を通して宿泊地の具体的な宿屋まで書いていないので特定はできない。このために旧宿場町ではその中心地を、また宿場でないところは町の中心に郵便局近くを宿泊地にするなどした。また峠は現在の国土地理院の地図でも通過したであろう峠名や旧道などがない場合が多かった。これはその峠名をWEBで調べ、国土地理院の標高データに沿って”旧道”を勝手に再現などした。
日本奥地紀行の最終編に入った。明治11年の北海道紀行はさぞかし大変だっと思う。
大変な山道を約600キロに渡って走破する旅程をたどってアップできる体にした。明治11年(1878年)によくもこんな旅ができたものと改めて関心した。
一昨日、東京から新潟までの旅程を完成させた。旧日光街道、旧会津西街道から旧越後街道をたどった。新潟町へは津川から舟で入るが、すでに新潟内(三越近く)には運搬に使った河川が無いことからここでも調べるのに往生した。
最初は何度も読んだイザベラ・バードの”日本奥地紀行”の足跡をたどってみる。今から141年前の明治11年(1878年)の旅に出てみる。