井上靖「おろしや国酔夢譚」より


1853年の黒船来航からの約60年前の寛政4年9月3日(西暦1792年10月18日)、ロシアから日本人3名の帰還者を乗せたエカチェリーナ二世号が根室沖に現れた。ロシアは対日通交・通商関係の樹立を目的に、3人(大黒屋光太夫、小市、磯吉)の日本人を「お土産?」として連れてきた。

 

おろしや国酔夢譚では、天明2年12月13日(西暦1783年1月15日)現在の三重県白子から江戸に向かった神昌丸(船頭大黒屋光太夫、他16名)が海難により漂流しするところから始まり、寛政5年8月(西暦1793年9月)江戸に着くまでの約10年半にわたる物語である。

神昌丸は約7か月半の漂流に耐え、白子から4000キロも離れたベーリング海に浮かぶアムチトカ島に流れ着いた。ここから、帰国までの道のりはすさまじいものである。

 

タイムトラベルという表現はよろしくないが、帰国までの光太夫らの足跡を辿ってみる。


登場人物

  • 神昌丸の乗組員(17人)

光太夫の帰国に尽力。ラクスマンは光太夫とともに直接女帝エカチェリーナ2世に帰国を直訴すべく、帝都サンクトペテルブルクに向かう。

キリルの次男。光太夫の帰国時に乗船したエカチェリーナ二世号の船長。

寛政4年(1792年)最初の対日通商の勅使として根室に来航。

時代背景

下図に1853年ペリーの黒船来航から約60年前までの日米関係、日露関係の年表を示す。

 

当時鎖国状態の日本に対して、黒船来航前に既にオランダ以外のアメリカ(赤色線)、ロシア(緑色線)、イギリス(橙色線)からコンタクトがあったことがわかる。

 

特に1792年、大黒屋光太夫がロシア人アダム・ラックスマン使節から身柄を渡された時がロシアの公式対日交渉となっている。