西南戦争が終わった翌年の明治11年(1878年)に英国人婦人イザベラ・バード(当時47歳、参考本⑤では身長150cmと小柄な中年女性)が約3ヶ月間東京から北海道の平取まで馬に揺られながら旅する物語。明治という新しい時代になった当時の北関東・東北地方、また北海道道南の日本人やアイヌ人の生活実態やしきたり、などが頭に描かれる。
この本を片手に実際に何回か車でバードの旅程を走ってバードの足跡を辿ってみた。それでも現実には日光から会津若松、会津若松から新潟、新潟から山形県南陽市赤松までがやっとだった。今回は時間もたっぷりあるので、じっくりと北海道の平取まで時空間旅行に行ってみることにした。
イザベラ・バードの紀行にかける強い意志、見事なスケッチ、広い学識と分析力には、改めて関心というより感動する。
1)登場する著名人
■伊藤鶴吉
バードの通訳
在日英国大使→幕末から明治維新にかけて余りにも有名。詳細の紹介は割愛。
英国大使館の書記官→パークス氏と同じく超有名人のため詳細の紹介は割愛。
■ジェームス・カーティス・ヘボン(ヘボン博士)
米国長老派教会の医療伝道宣教師、医師。ヘボン式ローマ字の考案者。明治学院大学の創設者。
→パークス氏、サトウ氏と同じく超有名人のため割愛。
2)イザベラ・バード日本奥地紀行の全旅程
日本奥地紀行は大別して3つあり、旅程の詳細は以下の旅程1〜旅程3からリンクしている。
ただし、旅程をたどる際に苦労した点は、現在2019年から141年前なので旧街道がすでになくなっていること。グーグル・マップだけでは旧道や峠名などが記載されていない。この場合は地理院地図も参考にすると見つけることができる場合もあるが、必ずしも旧道や峠名がない場合も多かった。この時はひたすら旧道や峠名でWEB検索した。
また、新潟や秋田では当時町の中に河川がありそこをバードは旅するが、すでに現在では埋め立てられている。こんな時は当時のWEB検索した古地図や地域の有志の方々が整理している地図などを参考にした。
ちなみに、WEB検索で感じたことは北に行けば行くほどイザベラ・バードの名前が説明文に出てくることには驚いた。
旅程1
1878年6月10日〜7月4日東京から新潟まで:274マイル(約397km)
【グーグルマップに示した色別マーカー】
■金谷カッテージ・イン(侍屋敷)
■新潟の上陸地点
旅程2
1878年7月10日〜8月7日東京から新潟まで:368マイル(約592km:全行程合計は601km)
【グーグルマップに示した色別マーカー】
旅程3
1878年(明治11年)8月8日から9月14日 函館~平取~函館までの旅程:358マイル(約576km)
参考書
参考本②~⑤は①に対して日付・宿泊地など詳細な注意書きが書かれているのが特徴。また、イザベラ・バードの生い立ち、学識の広さ、全面的に英国が彼女を支援していることなどの詳細は参考本②~⑤に詳しく書かれている。