イザベラ・バード著:”日本奥地紀行”をたどる


 西南戦争が終わった翌年の明治11年(1878年)に英国人婦人イザベラ・バード(当時47歳、参考本⑤では身長150cmと小柄な中年女性)が約3ヶ月間東京から北海道の平取まで馬に揺られながら旅する物語。明治という新しい時代になった当時の北関東・東北地方、また北海道道南の日本人やアイヌ人の生活実態やしきたり、などが頭に描かれる。

 この本を片手に実際に何回か車でバードの旅程を走ってバードの足跡を辿ってみた。それでも現実には日光から会津若松、会津若松から新潟、新潟から山形県南陽市赤松までがやっとだった。今回は時間もたっぷりあるので、じっくりと北海道の平取まで時空間旅行に行ってみることにした。

 

 イザベラ・バードの紀行にかける強い意志、見事なスケッチ、広い学識と分析力には、改めて関心というより感動する。


1)登場する著名人

 

イザベラ・ルーシー・バード

  • 1831年(天保2年)10月15日〜1904年(明治37年)10月7日(73歳没)
  • 47歳の時に来日。
  • 経歴は、上記した参考文献に記載あるため割愛。

伊藤鶴吉

バードの通訳

  • 1857年(安政4年)12月17日1913年大正2年)1月6日(56歳没)
  • 21歳でバードに会う。本には18歳と書いてるが誕生日が間違えでなければ1878年(明治11年)で21歳。
  • バードは最初嫌いだったが横浜の英国領事館が我が家のようによく知っていることに驚き、通訳として契約。
  • 北海道までの3ヶ月間バードにとって「守り神でもあり、悪魔としてまとわりついた」と書いてあるが、二人のコンビについては良いコントラスト感を感じる。本の中の第42〜第43信では伊藤と別離にあたってのバードの感謝の気持ちが書かれている。

ハリー・スミス・パークス

在日英国大使→幕末から明治維新にかけて余りにも有名。詳細の紹介は割愛。

  • 1828年(文政11年)2月24日〜1885年(明治18年)3月22日(57歳没)
  • 50歳でバードに会う。

アーネスト・メイソン・サトウ

英国大使館の書記官→パークス氏と同じく超有名人のため詳細の紹介は割愛。

  • 1843年(天保14年)6月30日 - 1929年(昭和4年)8月26日(86歳没)
  • 33歳でバードに会う。

ジェームス・カーティス・ヘボン(ヘボン博士 

米国長老派教会の医療伝道宣教師、医師。ヘボン式ローマ字の考案者。明治学院大学の創設者。

→パークス氏、サトウ氏と同じく超有名人のため割愛。

金谷善一郎

  • 1852年(嘉永5年)〜没不明。26歳でバードに合う。
  • カナヤ・カッテージ・イン(金谷侍屋敷、日本最古のホテル)のオーナー、日光東照宮雅楽の指揮者(神社音楽の指揮者)、イザベラ・バードが宿泊した当時の日光入町村の村長 

2)イザベラ・バード日本奥地紀行の全旅程

 

 日本奥地紀行は大別して3つあり、旅程の詳細は以下の旅程1〜旅程3からリンクしている。

 ただし、旅程をたどる際に苦労した点は、現在2019年から141年前なので旧街道がすでになくなっていること。グーグル・マップだけでは旧道や峠名などが記載されていない。この場合は地理院地図も参考にすると見つけることができる場合もあるが、必ずしも旧道や峠名がない場合も多かった。この時はひたすら旧道や峠名でWEB検索した。

 また、新潟や秋田では当時町の中に河川がありそこをバードは旅するが、すでに現在では埋め立てられている。こんな時は当時のWEB検索した古地図や地域の有志の方々が整理している地図などを参考にした。

 ちなみに、WEB検索で感じたことは北に行けば行くほどイザベラ・バードの名前が説明文に出てくることには驚いた。

 


旅程1

1878年6月10日〜7月4日東京から新潟まで:274マイル(約397km)

【グーグルマップに示した色別マーカー】

  • 赤マーク:通過地点
  • 黄マーク:宿泊地
  • 緑マーク:旧道の峠
  • 青ライン:舟の航路

■金谷カッテージ・イン(侍屋敷)

  • 2015年5月に金谷ホテル歴史館に行ってみた。最初から明治11年にタイムスリップした感じがした。
  • それは金谷ホテル歴史館でもらったパンフレット表紙にあるバードが書いたカッテージ・インの絵と同じであること、またバードが本の中で書いている室内の間取りや部屋の位置関係がそのまま保存されていることの2点。二階に上がって見た時は本当に次の部屋からバードが現れそうな感じがした。

■新潟の上陸地点

  • 当時の町の中の河川は既に埋め立てられているが、古地図と合わせると河川が見えてくる。

旅程2

1878年7月10日〜8月7日東京から新潟まで:368マイル(約592km:全行程合計は601km)

【グーグルマップに示した色別マーカー】

  • 赤マーク:通過地点
  • 黄マーク:宿泊地
  • 緑マーク:旧道の峠
  • 青ライン:舟の航路

旅程3

1878年(明治11年)8月8日から9月14日 函館~平取~函館までの旅程:358マイル(約576km)

【グーグルマップに示した色別マーカー】

  • 赤マーク:往路通過地点
  • 黄マーク:往路宿泊地
  • 紫マーク:復路通過地点
  • 青マーク:復路宿泊地
  • 緑マーク:旧道の峠

参考書

参考本②~⑤は①に対して日付・宿泊地など詳細な注意書きが書かれているのが特徴。また、イザベラ・バードの生い立ち、学識の広さ、全面的に英国が彼女を支援していることなどの詳細は参考本②~⑤に詳しく書かれている。

 

  1. イザベラ・バード著、高梨健吉 訳 ;”日本奥地紀行”、平凡社(2013年)
  2. イザベラ・バード著、金坂清則 訳注;東洋文庫819,”完訳日本奥地紀行1横浜-日光-会津-越後”、平凡社(2012年)
  3. イザベラ・バード著、金坂清則 訳注;東洋文庫823,”完訳日本奥地紀行2新潟-山形-秋田-青森”、平凡社(2012年)
  4. イザベラ・バード著、金坂清則 訳注;東洋文庫828,”完訳日本奥地紀行3北海道・アイヌの世界”、平凡社(2012年)
  5. イザベラ・バード著、金坂清則 訳注;東洋文庫833,”完訳日本奥地紀行4東京-関西-伊勢、日本の国政”、平凡社(2012年)