梅原猛「最澄と空海」


2005年文庫本初版。

テーマの通り、同時代に生きて日本仏教の基礎を築いた最澄と空海。その生い立ちから始まり、それぞれ何を求め、何が違うのかを解説している。

 

この本で「日本の仏教の歴史」の年表作りを進めることができそうだ。つまり、仏教伝来前の神々、伝来後の聖徳太子による仏教の講義、飛鳥時代~奈良時代を通した仏教から二人の出現により日本独自の仏教のい思想になっていく流れが整理できそうだ。

 

後は、この後の最澄が作った比叡山の「仏教大学」から生まれる宗派へのつながりを求めることにしよう。

 

ところで、この本の終わりの方に、梅原はこの二人の人間的特性を提案している。以下のように、整理すると二人の意思や行動が理解しやすい。以下、梅原の文章を転機。

  • 最澄:円的人間

その人生に一つの中心をなす原則があり、その原則に従ってその人間の行為が一元的に説明できる人間。最澄という人間はまさに円的人間の代表で、その行為はすべて彼の中心原理、つまり純粋な求道心でスッキリ説明できる。

  • 空海:楕円的人間

空海の行為は中心が二つある。一つは世俗的意思。非常に豊かな才能を持ち、文章を書かせても唐人を驚嘆させ、書を書かせても日本三筆の一人として名高い。また一つの教団を新しく作るという教団経営の豊かな才能を持っている。そのためには天皇(嵯峨)や貴族との付き合いもうまいし、土木事業さえ行った。つまり政治家という中心点がある。もうひとつの中心点は、孤独を愛し、隠遁を欲する意思である。自然を愛し、孤独を好み、世俗から逃げ出して、ひとり静かに自然の中で生を終えようという意思をもっている。世俗的思想とは全く異なる遁世的な中心点をもつ。

  • 円的人間は純粋とすれば、楕円的人間は不純になるが、巨大な事業をすることはできない。
  • 相矛盾する二つの焦点が互いに対立し、互いに引き合いながら、そこに円的人間では考えられないような巨大な行為の軌跡を生む。

さすがに哲学者だけあって本質をとらえた表現だと感心する←やっぱ、すごいわ!