2004年文庫本初版。
上下巻の読み物であるが、上巻だけでも読み応えがある。
現在進めている「仏教の歴史パーツ」にも後日追記するが、その要点を書き留めておこう。
哲学者だけあって論文形式に著されているので、章と節をそのまま引用して要点を記す。
序章 なぜ法然か
奈良・平安時代の仏教宗派(三論宗、法相宗、華厳宗、天台宗、真言宗)の多くは、当時中国で交流していた仏教宗派をそのまま輸入し、それを定着させたもの。これに対し、法然(法然房源空)が開宗した浄土宗は、7世紀に中国で活躍した僧・善導の仏教思想に基づいて、教団を設立した。同時代の日蓮も法然の思想に影響されつつ、強く法然の思想に反発して、あえて伝統仏教(天台仏教護持)の立場にたった日蓮もまた中国仏教の影響を多くうけることなく、日本独自の仏教をつくった。となると、法然こそ、日本の仏教を代表する仏教者である。
第1章 御影を読む
第2章 伝記が語る法然像
第3章 父時国殺害事件
第4章 布教への決意
第5章 専修念仏への道
5.1) 法然の思想形成
5.2) 善導と法然の浄土観
5.3) 「観経疏(かんぎょうしょ)」にみる善導の思想
第6章 立教開宗の宣言ー三部経釈
6.1) 「観無量寿経釈」の思想
6.2) 「阿弥陀経釈」の思想
6.3) 「無量寿経釈」の思想
第7章 口称(くしょう)念仏の選択(せんちゃく)ー選択本願念仏集
7.1) 「選択本願念仏集」の撰修
阿弥陀仏が諸行のなかから選択して本願の行とされた念仏に関する書。1198年(建久9)法然66歳のとき,前関白・九条兼実の懇請により著した。浄土三部経(「無量寿経」、「観無量寿経」、「阿弥陀経」)はじめ中国の曇鸞(どんらん),道綽(どうしやく),善導らの著述から念仏の要文を抄出し,念仏の要義を述べたもの。
念仏の要義とは
阿弥陀仏は平等の慈悲をもたれているので、例えば真言や天台や三論や法相の教えを知る人はわずかであり、大部分の人は往生の望みを持てないような行は選択せず、誰でもできる口称念仏の行を選択する。
善導は「観無量寿経」を中心とする浄土教である。法然は「偏依(へんね)善導」と言いながら、「観無量寿経」を中心とする浄土教から「無量寿経」中心の浄土教へ立場を変えている。「選択集」では「浄土三部経」(「無量寿経」、「観無量寿経」、「阿弥陀経」)に加えて、中国浄土教の生みの親である天親の「往生論」を加えて正依の経典としている。
「選択集」は、念仏の要義を浄土三部経から選択し16章から構成される。
第1章~第6章:「無量寿経」から選択
第7章~第12章:「観無量寿経」から選択
第13章~第16章:「阿弥陀経」から選択
7.2) 浄土宗聖典の完成
こうして根本理論ができ、正依の経典を定めたからには、師資相承(ししそうしょう)の血脈(けちみゃく)が必要となる。法然は法然に至る祖師を浄土七祖とよび、以下の血脈をつくる。
①インド僧・龍樹、「十住毘婆沙論(じゅうじゅうびばしゃろん)」
②インド僧・天親、「往生論」
③中国僧・曇鸞(どんらん)、「往生論註」
④中国僧・道綽(どうしゃく)、「安楽集」
⑤中国僧・善導、「観経疏(かんぎょうしょ)」
⑥日本僧:源信(恵心僧都源信)、「往生要集」
⑦法然、「選択集」
ただし、浄土宗のHPで調べると、浄土七祖は親鸞が決めたようだ。法然の決めた血脈は、浄土宗のHPでは、曇鸞・道綽・善導・懐感・少康の五祖となっている。