法然の伝記および法語を収録したもの(真言宗醍醐寺に所蔵)。種々ある法然伝のうち最古のものとされる。大正6年(1917)に醍醐寺の宝蔵調査で発見されたが、写本は他に見つかっていない。
内容は、大別して6編から構成される。
- 『一期物語』
- 『十一問答』
- 『三心料簡(さんじんりょうけん)および法語』
- 『別伝記』
- 『御臨終日記』
- 『三昧発得記(ざんまいはっとくき)』
それらの概要は、梅原猛「法然の哀しみ」や、WEB版新纂浄土宗大辞典を参照して、以下要点を記す。
『一期物語』
法然が自らの人生に起こったことを教説と共に語ったことを源智が記したもの。
20話が収められている。
- 第1話:そのうちの多くを占めている。そこでは法然自身が自らの半生を振り返り、
- 第2話:文治2年(1186)法然が比叡山麓の大原で天台僧顕真らと行った問答(大原問答)のこと
- 第3話:天台僧・肥後阿闍梨(皇円)のこと
- 第4話:瘧病(おこりやまい)のこと
- 第5話:遠流のこと
- 第6話:三井寺僧正公胤のこと
などが収められている。
『禅勝房十一問答』
遠江国(静岡県周智郡森町)蓮華寺で天台宗を学び住職となった禅勝房が、建仁2年(1202)29歳のとき、蓮生(熊谷直実)を訪ね、その紹介で法然の室に入る。法然は東国に専修念仏の教えを布教しようとして、東国の弟子(熊谷直実、津戸三郎)を大切にした。弾勝房が専修念仏の教義を理解しようと法然と問答した内容。専修念仏の入門書のようなもの。
『三心料簡(さんじんりょうけん)および法語』
法然の専修念仏の教えをもっとも本質的なものが語られている。
この終わりに「善人なおもて往生す、況んや悪人を乎の事、口伝これあり」とあり、「歎異抄」とほぼ同じ内容の言葉があり、ここから親鸞の言葉とされる「悪人正機説(善人なをもて往生をとぐ、いわんや悪人をや)」の起源が法然にあるとする見方もある。弥陀の本願は、自力をもって生死を離れるべき方便として善人のためにおこした願ではなく、他の方法によって往生することができない極めて重い悪人を哀れんでおこした願である。
『別伝記』、『御臨終日記』、『三昧発得記(ざんまいはっとくき)』
「一期物語」そのものがひとつの法然の伝記の体裁をなすことから、それから漏れた話を「別伝記」として補ったもの。特に、父の殺害事件を法然の叡山に登る前にするか後にするかという点で、「四十八巻伝」と異なっているという(梅原猛「法然の哀しみ」上巻p.97)。「別伝記」は、殺害事件の後としていることから、梅原の法然説法の「専修念仏による悪人こそ浄土」の思想が生まれる背景は、押領使であった父を悪人とし、父を浄土に往生させるためとしている。
「ご臨終日記」は流罪地から京都に帰り、死に至る法然の有様を源智が克明に語ったもの。
「三昧発得記」は「選択集」の撰修の時に起こった法然の神秘的体験を記したもの。