黒岩重吾「北風に起つ 継体戦争と蘇我稲目」


33年前の本。初出:1988(昭和63)年10月中央公論社、文庫:1991(平成3)年11月中公文庫。

 

継体が大王に即位し、ヤマトの磐余の宮に至るまでの約20年間の物語。磐井の乱をきっかけにして、大伴金村が擁立した男大迹尊(継体)を大和の従来からの豪族(物部、三輪、平群など)と新興勢力である蘇我族が大王として受け入れていくまでの物語である。

 

これまでボヤーっとしていた継体像をそれなりに掴むJことができた。

これまで読んだ黒岩小説を黒枠で示し、今回の本のカバー範囲を青枠で示す。

 

ただ、黒岩は継体大王が531年に没し、531年に大王家の血筋を引く手白香王女(仁賢の王女)との間の王子・欽明が即位していることから、大王家血筋を引かない安閑と宣化大王は蘇我稲目によって殺害か幽門になっているとしている。確かに、蘇我稲目が大臣を狙い、かつ、継体が大和に遷宮する際に安閑と宣化の宮を蘇我の敷地内に建てていることから、あり得る話だ。そうすれば、蘇我勢力は、欽明を擁立し、わが娘二人を嫁がすことで拡大できる。

この本でも、解体と稲目を中心として系図、また関係する地域や宮が出ていることから、それに補足説明を加えて使わせていただく。

6世紀前半の勢力図と継体に関係する略図は、以下である。

 

継体は大和の磐余宮に遷宮するまで三カ所も宮を建てていることが略図で分かる。また、それぞれの宮建造の目的は、本の中にあるので割愛する。


最後に、継体~欽明までのデジタル年表を添付しておく。

 

ただし、黒岩は、「欽明大王の即位年が531年。継体大王の没年も同じ」であることから、安閑・宣化は在位しなかったとしている。デジタル年表ではこれを引用し、欽明531年即位として付けたしをしている。