黒岩重吾「白鳥の王子 ヤマトタケル 西戦の巻」


初出1991年5月~1993年7月(野生の時代)、単行本1994年5月、文庫化2000年8月(角川文庫)。

 

「大和の巻」に続く「西戦の巻」。ヤマトタケルの物語の中でも有名な「熊襲討伐」で男具那からタケルに名を変える巻。話としては4世紀後半(300年後半)

 

黒岩説では、タケルの父、オシロワケ王(景行天皇)が支配している三輪王朝は、狗奴国との直接対決を避けた邪馬台国が良き土地を求めて東遷して造られたもの。その後、狗奴国は狗奴韓国などと新興を結び、強国となった。

 

東遷した邪馬台国は、三輪山麓に宮をもつ。卑弥呼時代の性格を引き継ぎ、祭祀の女王が神事を司り、政治は弟王が執った。

・祭祀の女王:倭迹迹日百襲姫命(ヤマトトトビモモソヒメ)

・弟王的な王:御間城入彦五十瓊殖尊天皇(ミマキイリヒコイニエ、崇神大王)

 

この「西戦の巻」のきっかけは、邪馬台国が東遷した際に、女王国に属していて残った国々の中には、狗奴国の侵略を受けて服従した国もあり、その中でも、肥国(ひのくみ)、豊国(とよのくに)内の国々への圧迫がひどく、救いを求める使者がオシロワケ王にやってくるところからである。

 

この頃、河内には邪馬台国とは関係のない新興勢力が興り、渡来系と関係をもつ九州勢が多かった。また、邪馬台国が東遷してから約100年経過した当時においては、三輪王朝の勢力圏は広がったものの、団結力が希薄になっていた。そんな中であり、オシロワケ王は九州からの使者からの要請に対して大々的に軍を動員できる状況ではなかった。しかし、王朝のメンツを守るためには、男具那の気性からしてわずかな兵でも何とか恰好を付けるのではないかと考えた。

 

男具那は父・オシロワケ王との確執の中、九州へと向かう。

 

前回の「大和の巻」に続き、男具那の人間性やその成長の過程、また男具那の従者それぞれの持ち味などヤマトタケルの温かみや人間性が伝わってきた。想像上の人物でも黒岩重吾が描くと、こんなに興味ある人間像に仕上げてしまう。大したものである。

 

狗奴国と連携し、最強と言われる熊襲・川上建の成敗と川上建の最後の言葉が印象に残る物語だった。本文より、

「オグナは、倭姫王のお告げにより兄の川上タケルと1対1で雌雄を決し倒すことを信念とした。その川上タケルがいまわの際に、「降伏の印として、タケルの名を王子様にささげたい、これから、ヤマトタケルと名乗っていただければ、吾は喜んで黄泉の国に参れます」ろすがるような思いを込めて言う。」

 


気になる事

 

姫島比売語曾神社(ヒメコソ)、この女神は崇神帝の頃に渡来してきた集団の神のようだ。