森浩一「敗者の古代史」再読19章:大友皇子の死とその墓


壬申の乱で近江朝の総大将であった天智大王の直子・大友皇子の死に至るまでの話は割愛して、その墓について「敗者の古代史」を参考に調べてみた。

 

「大友皇子」のワードを単純にグーグルマップで検索すると、先頭にGM1~4を付けた個所(神奈川県1件、愛知県3件)が出てくる。

しかし、伝承からくるものでどこまで真実性があるかは、これら4カ所の遺跡などの説明文を読むと分かると思う。

次に、森浩一「敗者の古代史」19章に書かれているように、「大山崎庄宝積寺近傍之図」を頼りに天王山の中腹にある宝積寺近傍を探してみたが、単純に見つからなかった。「敗者の古代史」19章では天王山に向かって宝積寺を目指す右側に「弘文天皇山前陵」があるようなので、雰囲気だけでもつかむためグーグルアースの3D写真を載せておく。

宮内庁が比定しているのが、大津市の長等山麓にある「弘文天皇長等山前陵」。本当のように思うが、大友皇子が最後まで石上麻呂と逃げたところが山崎であるような気もする。